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  • 2021.03.24

那覇市孔子廟敷地使用料不請求違法確認事件について

行政法トピック〔その2〕

 

  1. はじめに

(1) 事件の概要

今回は、行政法トピック〔その2〕として、那覇市孔子廟敷地使用料不請求違法確認事件(以下「本件」といいます)を取り上げます。

本件については、令和3年2月24日に、最高裁判所が大法廷で判決を言い渡しました。マス・メディアでも大きく報じられましたので、御記憶の方も多いと思います。

本件は、沖縄県那覇市の管理する都市公園内に、儒教の祖である孔子等を祀った久米至聖廟(以下「本件施設」といいます)を設置することを、本件施設等の公開等を目的とする一般社団法人に許可した上で、その敷地の使用料の全額を免除した市長の行為は、憲法の定める政教分離原則に違反し無効であり、市長が使用料を請求しないことが違法に財産の管理を怠るものであるとして、市の住民が市長を相手に、この事実の違法確認を求める住民訴訟です。
最高裁は、本件について、原告である住民の勝訴判決をしました。
本件は、宗教色を帯びた組織・団体との関わりを持つ職務を担当しておられる地方公共団体の職員の方々の外、宗教と行政・政治との関わりにご関心を持っておられる方々のご参考になるものと思います。

 

(2) 住民訴訟について

本件の内容の説明に入る前に、本件が属する住民訴訟というものについて、簡単に説明しておきましょう。

住民訴訟とは、地方公共団体の住民が、当該地方公共団体の執行機関・職員による違法・不当な公金の支出、財産の取得・管理・処分等の財務会計上の行為があるときに、その是正を求めて提起する訴訟です(地方自治法242条の2第1項)。住民訴訟を提起するためには、まず、監査委員に対して、住民監査請求(同法242条)をする必要があり、監査委員の監査の結果・勧告や勧告を受けた議会・執行機関・職員の措置に不服があるとき等に訴訟を提起することができます(同法242条の2第1項)。

同項に掲げる住民訴訟の種類のうち、最も重要なものは、地方公共団体がその職員に対して損害賠償請求権等を有している場合に、その請求をすることを、住民が地方公共団体の執行機関等を被告として提起する訴訟(同項4号)です。平成14年の地方自治法改正までは、住民が地方公共団体に代位して損害賠償責任を負う職員を直接に被告として訴訟を提起する仕組みでしたが、同年の改正でそれは改められ、上記のように地方公共団体の執行機関等に対して、損害賠償等をすべき職員に対する請求することを求める訴訟となりました。

本件の訴訟は、これとは異なり、地方公共団体の執行機関・職員について違法・不当に公金の賦課・徴収・財産の管理を怠る事実(以下「怠る事実」といいます)があるときに、当該怠る事実の違法確認を求める請求です(同項3号)。

この訴訟で、原告が勝訴した場合には、問題となった怠る事実が違法・不当であることが確定したこととなりますので、当該地方公共団体は、その怠る事実を是正することが必要となります。
この住民訴訟は、訴訟類型としては、やや異色のものです。というのは、通常の訴訟は法律上の訴訟に該当するものなのですが、住民訴訟は法律上の争訟には該当しないからです。「法律上の争訟」とは、(ア)当事者間の具体的な権利義務に関する紛争であること、(イ)法令を適用することによって終局的に解決することが可能なものであること、の2つの要件を満たすものであると解されています。債権者Aが債務者Bに対して貸金の返済を求める訴訟、妻Cが夫Dに対して離婚を求める訴訟などは、いずれも法律上の争訟に該当します。

司法権とは、法律上の争訟を法に基づいて解決する作用と定義されています。したがって、法律上の争訟に該当するものについては、国民は裁判所に訴えを起こし裁判を受けることができる(憲法32条)のであり、その途を閉ざすことは憲法違反となります。逆に、法律上の争訟に該当しないものは、特別の法律の規定がない限り、司法審査の対象とはなりません。

住民訴訟は、地方公共団体の住民が、自己の権利義務に関して救済を求めるものではなく、当該地方公共団体の執行機関・職員による違法・不当な財務会計上の行為があるときに、その是正を求めて提起する訴訟なので、法律上の争訟には該当しません。

このため、これが認められるには、特別の法律の規定が必要となります。住民訴訟は、行政事件訴訟法上、「民衆訴訟」に属する訴訟です。行政事件訴訟法は、民衆訴訟を「国又は公共団体の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟で、選挙人たる資格その他自己の法律上の利益にかかわらない資格で提起するもの」(5条)と定義した上、「民衆訴訟(中略)は、法律に定める場合において、法律に定める者に限り、提起することができる。」(42条)と規定します。そして、住民訴訟については、ここにいう「法律」に該当するものとして、上記の地方自治法242条の2が置かれていることとなります。

 

  1. 政教分離について

(1) 政教分離の趣旨

さて、本件においては、敷地の使用料を免除した市長の行為が政教分離原則に反するかどうかが問題となりました。
ここでは、政教分離について一般的な解説をしておきます。
国家が特定の宗教と結びつくことは、個人の信教の自由をおびやかすこととなるおそれが強くなります。公権力と一体化した特定宗教は、他の宗教を信仰する者や信仰を持たない者の内面を踏みにじることとなりかねないからです。それゆえ、現代国家においては、個人の信教の自由の保障を確保するため、国家と特定宗教とが結合するのを回避することを原則としています。これを「政教分離」といいます。

信教の自由は、人権の歴史上、最も重要な人権の一つとして発展してきました。欧州では、中世において、異教徒や異端に対する過酷な宗教的圧迫の歴史があり、これに対する抵抗の中から自由を求める人民の声が人権宣言の中の信教の自由の規定となって結実したのです。

我が国においては、大日本帝国憲法は「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」(28条)という規定を設けていました。しかしながら、この規定には、法律の留保(権利の内容や行使について制限するには法律によらなければならないこと)を定めた他の権利規定とは異なって、「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という留保が付されており、これは法律によらず命令によって権利を制限することができる趣旨であると解されていました。また、「神道は宗教にあらず」とされ、国家神道には国から特権が与えられていました。一方、刑法の不敬罪と治安維持法に基づき、弾圧された宗教もあります(大本教、ひとのみち教団等)。

このような苦い経験を受け、日本国憲法は、20条に周到な規定を設けることとしました。

以下に掲げるのは、憲法20条と89条です。

第20条① 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

憲法は、上記の20条1項後段及び3項において政教分離を規定しています。20条は、信教の自由という人権の外に、政教分離という制度を保障したものと解されています。また、89条前段の宗教団体への公金等支出の禁止は、財政面から政教分離を徹底しようとする趣旨です。国家と宗教との関係は国により様々です。

まず、国家が特定の宗教を国教とする国と、国教を認めない国とに分かれます。現代の民主政国家において、国教を認める国の代表的な存在は英国です。英国は英国国教会(Anglican Church)を国教と定めるとともに他の宗教に対しても寛容な政策を採っています。

国教を認めない国には、①国教は認めないものの、特定の宗教が公法人として憲法上の地位を与えられ、その固有の領域には独自の特権(租税徴収権等)を付与され、国家と競合する事項については政教(コンコル)条約(ダート)(Konkordate)を締結し、両者の協調関係の下に処理する国と、②国家と宗教とを厳格に分離し、国家は一切の宗教から中立であろうとする国、とがあります。①に属する国にはドイツやイタリアが、また、②に属する国には、米国やフランスがあります。日本は、米国に倣って、②に属するものとされています。

(2) 過去の主な判例

政教分離については、これまでにも、何度も訴訟で争われてきました。以下には、その主なものを掲げておきます(下線は岩本が重要と考える箇所に引きました)。

(ア) 津地鎮祭事件

津地鎮祭事件においては、三重県津市が市体育館の建設に際し、神式地鎮祭を行いそれに公金を支出したことが憲法20条・89条に反するかが争われました。第一審(津地判昭和42年3月16日判時483号28頁)は、本件地鎮祭は習俗的行事であり、憲法に違反しないと判示しましたが、控訴審(名古屋高判昭和46年5月14日行裁例集22巻5号680頁)は、宗教的行為と習俗的行為とを区別する基準として、(a)主宰者が宗教家であるかどうか、(b)順序作法(式次第)が宗教界で定められたものかどうか、(c)当該行為が一般人に違和感なく受け容れられる程度に普遍性を有するものかどうか、の3基準を挙げた上、本件地鎮祭は、宗教的行為であり、それへの公金支出は違憲であると判示しました。最高裁判決(最大判昭和52年7月13日民集31巻4号533頁)は、再度逆転させて本件地鎮祭への公金支出を合憲としました。その判旨は次のとおりです。

宗教は、信仰という個人の内心的な事象としての側面を有するにとどまらず、同時に極めて多方面にわたる外部的な社会事象としての側面を伴うのが常であって、この側面においては、教育、福祉、文化、民俗風習など広範な場面で社会生活と接触することになり、そのことからくる当然の帰結として、国家が、社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するにあたって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れえないこととなる。したがって、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。………」

(判決は、この後、特定宗教と関係のある私立学校に対する助成、神社、寺院の建築物や仏像等の維持保存のための補助金支出、刑務所等における教誨活動を例示。――岩本注)

「わが憲法の……政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが右の諸条件(それぞれの国の社会的・文化的諸条件――岩本注)に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。」

「(憲法20条3項にいう――岩本注)宗教的活動とは、……およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。

「本件起工式は、宗教とかかわり合いをもつものであることを否定しえないが、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法20条3項により禁止される宗教的活動にはあたらないと解するのが、相当である。」

このように述べて、最高裁は、本件地鎮祭は、憲法20条3項が禁止する宗教的活動にはあたらないものと結論付けました。上の判旨の二重下線を付した箇所が、最高裁が政教分離に関する違憲審査基準として採用した「目的・効果基準」と称されているものです。

(イ) 箕面忠魂碑訴訟

箕面忠魂碑訴訟は、箕面市が、小学校の増改築工事に伴い、同校庭にあった市遺族会が所有・管理する忠魂碑を移転するため土地を購入し、そこに忠魂碑を移転するとともに、その土地を遺族会に無償貸与したことに対し、移転費用負担・土地貸与行為が政教分離に違反するものとして提起された訴訟です。第一審(大阪地判昭和57年3月24日行裁例集33巻3号564頁)は、忠魂碑が宗教的施設であることを認定した上、上記の目的・効果基準に則って本件の市の支出が違憲であると判示しました。また、本件忠魂碑における慰霊祭に教育長が参列したことが政教分離に反するとして提訴された別の訴訟において、第一審(大阪地判昭和58年3月1日行裁例集34巻3号358頁)、参列は私的行為であり、それに要した時間分の給与を市に返還するよう命じました。両訴訟を併合して審理した第二審(大阪高判昭和62年7月16日行裁例集38巻6・7号561頁)は、忠魂碑は戦没者の慰霊・顕彰のための記念碑で宗教的施設ではなく、遺族会も「宗教団体」(憲法20条1項)、「宗教上の組織若しくは団体」(同89条)に該当しないから、市の行為は違憲ではないとし、また教育長の参列については、職務に関わる社会的儀礼的行為であり、目的・効果基準に照らし「宗教的行為」にあたらないとして、原判決を取消しました。最高裁もこの第二審の見解を維持しました(最判平成5年2月16日民集47巻3号1687頁)。

(ウ) 岩手靖国訴訟

岩手靖国訴訟は、岩手県議会が行った天皇・内閣総理大臣の靖国神社公式参拝を要望する決議と岩手県が行った靖国神社への玉串料公費支出が争われました。第一審(盛岡地判昭和62年3月5日判時1223号30頁)は、これらの行為は政教分離に違反しないとしましたたが、第二審(仙台高判平成3年1月10日行裁例集42巻1号1頁)はいずれの行為も政教分離に違反するものと判示しました。しかし、この第二審は、これらの行為は違法であるが、行為の当時においては議員や知事の責任を問うまでの違法性があったとはいえないとして、結論においては、県議会・県の側の勝訴としました。県議会・県側は、判決理由に不服があるとして上告しましたが、結論において勝訴しているため、上告の利益を欠くものとして上告は却下されました(最決平成3年9月24日)。

(エ) 愛媛玉串料訴訟

愛媛玉串料訴訟は、愛媛県知事の靖国神社・県護国神社への公金による玉串料等の支出が争われました。第一審(松山地判平成元年3月17日行裁例集40巻3号188頁)は、違憲と判示しましたが、第二審(高松高判平成4年5月12日行裁例集43巻5号717頁)は、合憲としました。しかし、最高裁判決(最大判平成9年4月2日民集51巻4号1673頁)は、玉串料の奉納は、社会的儀礼とは言えず、奉納者においてもそれが宗教的意義を有するとの意識を持たざるを得ないもので、県が特定宗教団体とだけ意識的に特別のかかわり合いを持ったことになり、その結果、一般人に対して靖国神社は特別なものとの印象を与え、特定宗教への関心を呼び起こす効果を及ぼしたとし、違憲と判示しました。

(オ) 内閣総理大臣公式参拝違憲訴訟

内閣総理大臣公式参拝違憲訴訟には、次のようなものがあります。

まず、昭和60年8月15日に、中曽根康弘内閣総理大臣が靖国神社に公式参拝し、供花代金として3万円の公費を支出したことに対し、仏教・キリスト教信者の遺族が中心となり、信教の自由、宗教的人格権ないし宗教的プライバシー権等の侵害を理由に損害賠償・慰謝料を求めて提訴した事件です。一連の訴訟の中で、2つの高裁判決(福岡高判平成4年2月28日判時1426号85頁、大阪高判平成4年7月30日判時1434号38頁)は、原告の権利侵害がないことを理由に請求は斥けながら、傍論で公式参拝の違憲の疑いを指摘しました。

また、平成13年8月13日に、小泉純一郎内閣総理大臣が靖国神社の参拝を行ったことについて、上告人ら(原告ら)が政教分離原則を規定した憲法20条3項に違反するものであり、本件参拝により、上告人らの「戦没者が靖国神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め、戦没者をどのように回顧し祭祀するか、しないかに関して(公権力からの圧迫、干渉を受けずに)自ら決定し、行う権利ないし利益」が害され、精神的苦痛を受けたなどと主張して、損害賠償を請求した事件において、最判平成18年6月23日最高裁HP裁判例情報は、「人が神社に参拝する行為自体は、他人の信仰生活等に対して圧迫、干渉を加えるような性質のものではないから、他人が特定の神社に参拝することによって、自己の心情ないし宗教上の感情が害されたとし、不快の念を抱いたとしても、これを被侵害利益として、直ちに損害賠償を求めることはできないと解するのが相当である。」と判示し、本件参拝によって上告人らに損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとはいえないとして、その請求を棄却した原審の判断を維持しました。

(カ) 空知太神社事件

空知(そらち)太(ぶと)神社事件は、北海道砂川市の住民であるXらが、市がその所有する土地を神社施設の敷地として無償で使用させていることについて、憲法の定める政教分離原則に違反する行為であって、敷地の使用貸借契約を解除し同施設の撤去及び土地明渡しを請求しないことが違法に財産の管理を怠るものであるとして、Y(市長)に対し、地方自治法242条の2第1項3号に基づき上記怠る事実の違法確認を求めて訴えを提起した事件です。原審(札幌高判平成19年6月26日)は、本件の土地利用提供行為は、憲法20条3項に違反するとともに、憲法20条1項後段及び89条の政教分離原則に違反するとして、本件の怠る事実は違法であると判示したため、Yが上告しました。

最大判平成22年1月20日民集64巻1号1頁は、「本件利用提供行為は、市と本件神社ないし神道とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして、憲法89条の禁止する公の財産の利用提供に当たり、ひいては憲法201項後段の禁止する宗教団体に対する特権の付与にも該当すると解するのが相当である。」と判示しました。しかしながら、これに続いて、判決は、職権による検討を加え、次のように述べて、本件を原審に差し戻しました。「本件利用提供行為の現状(中略)を違憲とする理由は、判示のような施設の下に一定の行事を行っている本件氏子集団に対し、長期にわたって無償で土地を提供していることによるものであって、このような違憲状態の解消には、神社施設を撤去し土地を明け渡す以外にも適切な手段があり得るというべきである。例えば、戦前に国公有に帰した多くの社寺境内地について戦後に行われた処分等と同様に、本件土地(中略)の全部又は一部を譲与し、有償で譲渡し、又は適正な時価で貸し付ける等の方法によっても上記の違憲性を解消することができる。」「上告人において直接的な手段に訴えて直ちに本件神社物件を撤去させるべきものとすることは(中略)地域住民らによって守り伝えられてきた宗教的活動を著しく困難なものにし、氏子集団の構成員の信教の自由に重大な不利益を及ぼすものとなることは自明である。」「上告人において他に選択することのできる合理的で現実的な手段が存在する場合には、上告人が本件神社物件の撤去及び土地明渡請求という手段を講じていないことは、財産管理上直ちに違法との評価を受けるものではない。」「そうすると、(中略)原審において、本件利用提供行為の違憲性を解消するための他の合理的で現実的な手段が存在するか否かについて適切に審理判断するか、当事者に対して釈明権を行使する必要があったというべきである。」

差戻審である札幌高判平成22年12月6日最高裁HP裁判例情報は、本件市有地内にある神社の施設を集約した約52㎡を年額約3万5000円程度で氏子総代長に賃貸するという控訴人Yの提案について、「本件利用提供行為の違憲性を解消する手段として合理的で現実的なもの」と評価した上、本件神社物件の撤去及び土地明渡請求をしないことは地方自治法242条の2第1項3号所定の「財産の管理を怠る事実」には該当しないとして、被控訴人Xらの請求を棄却しました。差戻上告審である最判平成24年2月16日民集66巻2号673頁は、この判断を是認し上告を棄却しました。

なお、本件と当事者がほぼ共通する市内の別の神社に係る住民訴訟において、市有地上に神社施設が存在する状態を解消するため、市が、神社敷地として無償で使用させていた市有地を町内会に無償で譲与したことの合憲性が争点となっていたところ、最高裁は、本件判決と同日付けで、それを合憲と判示しました(最判平成22年1月20日民集64巻1号128頁(富平神社事件))。

 

  1. 本件の概要

本件(那覇市孔子廟敷地使用料不請求違法確認事件)の概要は、次のとおりです。

(1) 事実関係

本件は、沖縄県那覇市(以下「市」といいます)の管理する都市公園内に、儒教の祖である孔子等を祀った久米至聖廟(以下「本件施設」といいます)を設置することを、本件施設等の公開、論語を中心とする東洋文化の普及等を目的とする一般社団法人「久米崇聖会」(この法人は、本件訴訟に参加したので、以下「参加人」といいます)に、都市公園法に基づき許可した上で、那覇市公園条例及び那覇市公園条例施行規則に基づきその敷地の使用料の全額を免除した那覇市長の行為は、憲法の定める政教分離原則に違反し無効であり、市長が、参加人に対して平成26年4月1日から同年7月24日までの間の公園使用料181万7063円(以下「本件使用料」という。)を請求しないことが違法に財産の管理を怠るものであるとして、市の住民である第1審原告が市長である第1審被告に対して、この怠る事実の違法確認を求める住民訴訟です。

那覇市は、都市公園法2条1項1号所定の都市公園として、市内の久米地域に松山公園(以下「本件公園」といいます)を設置し、これを管理しています。本件施設は、本件公園内の国公有地上に設置された、儒教の祖である孔子やその4人の門弟である四配等を祀る廟です。本件施設の建物等の所有者は参加人です。参加人は、本件施設、道教の神等を祀る天尊廟及び航海安全の守護神を祀る天妃宮の公開、久米三十六姓(約600年前から約300年間にわたり、現在の中国福建省又はその周辺地域から琉球に渡来してきた人々)の歴史研究、論語を中心とする東洋文化の普及等を目的とする一般社団法人であり、定款上、上記目的が明記されるとともに、その正会員(社員)の資格が久米三十六姓の末裔に限定されています。本件施設は、大成殿、啓聖祠、明倫堂・図書館、至聖門、御路、御庭空間等によって構成され、その占用面積は1335㎡であり、その敷地は、至聖門、明倫堂・図書館、フェンス等により、本件公園の他の部分から仕切られています。本件施設の出入口に当たる至聖門には三つの扉があり、参加人の説明によれば、中央の扉は孔子の霊のための扉とされ、孔子の霊を迎えるために1年に1度、後記の釋奠祭禮の日にのみ開かれます。御路は、御庭空間の中央を至聖門から大成殿に向かって 直線的に伸びる通路であり、孔子の霊は、至聖門を通過して御路を進み、大成殿の正面階段の中央部分に設けられた石龍陛を越えて大成殿へ上るとされています。大成殿は、本件施設の本殿と位置付けられており、その内部の中央正面には孔子の像及び神位(神霊を据える所)が、その左右には四配の神位がそれぞれ配置され、観光客に加え、家族繁栄、学業成就、試験合格等を祈願する多くの人々が参拝に訪れます。また、本件施設においては、大成殿の香炉灰が封入された「学業成就(祈願)カード」が販売されていたことがありました。本件施設では、平成25年以降、毎年、孔子の生誕の日とされる9月28日 に、供物を並べて孔子の霊を迎え、上香、祝文奉読等をした後にこれを送り返すという内容の行事である釋奠祭禮が行われています。参加人においては、釋奠祭禮の挙行がその事業として定款上明記されるとともに、久米三十六姓の末裔以外の者がこれを行うことについては、事業の形骸化、観光ショー化、世俗化のおそれがあり、許容することができないとされています。

このような事実関係の本件について、原審(福岡高那覇支判平成31年4月18日)は、本件使用料の免除を違憲であると判示しました。これに対して、参加人が上告しました。

(2) 最高裁判決

最高裁は、以下のように判示して、参加人の上告を棄却して、被上告人(原告=住民)の勝訴としました(最大判令和3年2月24日最高裁HP裁判例情報)。

「憲法は、20条1項後段、3項、89条において、いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(以下「政教分離規定」という。)を設けているところ、一般に、政教分離原則とは、国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)の非宗教性ないし宗教的中立性を意味するものとされている。そして、我が国においては、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであって、このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結び付きをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であった。しかしながら、国家と宗教との関わり合いには種々の形態があり、およそ国家が宗教との一切の関係を持つことが許されないというものではなく、政教分離規定は、その関わり合いが我が国の社会的、文化的諸条件に照 らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合に、これを許さないとするものであると解される。そして、国又は地方公共団体が、国公有地上にある施設の敷地の使用料の免除をする場合においては、当該施設の性格や当該免除をすることとした経緯等には様々なものがあり得ることが容易に想定されるところであり、例えば、一般的には宗教的施設としての性格を有する施設であっても、同時に歴史的、文化財的な建造物として保護の対象となるものであったり、観光資源、国際親善、地域の親睦の場などといった他の意義を有していたりすることも少なくなく、それらの文化的あるいは社会的な価値や意義に着目して当該免除がされる場合もあり得る。これらの事情のいかんは、当該免除が、一般人の目から見て特定の宗教に対する援助等と評価されるか否かに影響するものと考えられるから、政教分離原則との関係を考えるに当た っても、重要な考慮要素とされるべきものといえる。そうすると、当該免除が、前記諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えて、政教分離規定に違反するか否かを判断するに当たっては、当該施設の性格、当該免除をすることとした経緯、当該免除に伴う当該国公有地の無償提供の態様、これらに対する一般人の評価等、諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すべきものと解するのが相当である。

「(1) 前記事実関係等によれば、本件施設は、本件公園の他の部分から仕切られた区域内に一体として設置されているところ、大成殿は、本件施設の本殿と位置付けられており、その内部の正面には孔子の像及び神位が、その左右には四配の神位がそれぞれ配置され、家族繁栄、学業成就、試験合格等を祈願する多くの人々による参拝を受けているほか、大成殿の香炉灰が封入された「学業成就(祈願)カード」が本件施設で販売されていたこともあったというのである。そうすると、本件施設は、その外観等に照らして、神体又は本尊に対する参拝を受け入れる社寺との類似性があるということができる。 本件施設で行われる釋奠祭禮は、その内容が供物を並べて孔子の霊を迎え、上香、祝文奉読等をした後にこれを送り返すというものであることに鑑みると、思想家である孔子を歴史上の偉大な人物として顕彰するにとどまらず、その霊の存在を前提として、これを崇め奉るという宗教的意義を有する儀式というほかない。また、参加人は釋奠祭禮の観光ショー化等を許容しない姿勢を示しており、釋奠祭禮が主に観光振興等の世俗的な目的に基づいて行われているなどの事情もうかがわれない。そして、参加人の説明によれば、至聖門の中央の扉は、孔子の霊を迎えるために1年に1度、釋奠祭禮の日にのみ開かれるものであり、孔子の霊は、御庭空間の中央を大成殿に向かって直線的に伸びる御路を進み、大成殿の正面階段の中央部分に設けられた石龍陛を越えて大成殿へ上るというのであるから、本件施設の建物等は、上記のような宗教的意義を有する儀式である釋奠祭禮を実施するという目的に従って配置されたものということができる。 また、当初の至聖廟等は、少なくとも明治時代以降、社寺と同様の取扱いを受けていたほか、旧至聖廟等は、道教の神等を祀る天尊廟及び航海安全の守護神を祀る 天妃宮と同じ敷地内にあり、参加人はこれらを一体として維持管理し、多くの参拝者を受け入れていたことがうかがわれる。旧至聖廟等は当初の至聖廟等を再建したものと位置付けられ、本件施設はその旧至聖廟等を移転したものと位置付けられていること等に照らせば、本件施設は当初の至聖廟等及び旧至聖廟等の宗教性を引き継ぐものということができる。以上によれば、本件施設については、一体としてその宗教性を肯定することができることはもとより、その程度も軽微とはいえない。 (2) 本件免除がされた経緯は、市が、本件施設の観光資源等としての意義に着目し、又はかつて琉球王国の繁栄を支えた久米三十六姓が居住し、当初の至聖廟等があった久米地域に本件施設が所在すること等をもって本件施設の歴史的価値が認められるとして、その敷地の使用料(公園使用料)を免除することとしたというものであったことがうかがわれる。 しかしながら、市は、本件公園の用地として、新たに国から国有地を購入し、又は借り受けたものであるところ、参加人は自己の所有する土地上に旧至聖廟等を有していた上、本件土地利用計画案においては、本件委員会等で至聖廟の宗教性を問題視する意見があったこと等を踏まえて、大成殿を建設する予定の敷地につき参加人の所有する土地との換地をするなどして、大成殿を私有地内に配置することが考 えられる旨の整理がされていたというのである。また、本件施設は、当初の至聖廟等とは異なる場所に平成25年に新築されたものであって、当初の至聖廟等を復元したものであることはうかがわれず、法令上の文化財としての取扱いを受けているなどの事情もうかがわれない。 そうすると、本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値をもって、直ちに、参加人に対して本件免除により新たに本件施設の敷地として国公有地を無償で提供することの必要性及び合理性を裏付けるものとはいえない。 (3) 本件免除に伴う国公有地の無償提供の態様は、本件設置許可に係る占用面積が1335㎡に及び、免除の対象となる公園使用料相当額が年間で576万7200円(占用面積1335㎡×1か月360円×12か月)に上るというものであって、本件免除によって参加人が享受する利益は、相当に大きいということができる。また、本件設置許可の期間は3年とされているが、公園の管理上支障がない限り更新が予定されているため、本件施設を構成する建物等が存続する限り更新が繰り返され、これに伴い公園使用料が免除されると、参加人は継続的に上記と同様の利益を享受することとなる。 そして、参加人は、久米三十六姓の歴史研究等をもその目的としているものの、 宗教性を有する本件施設の公開や宗教的意義を有する釋奠祭禮の挙行を定款上の目的又は事業として掲げており、実際に本件施設において、多くの参拝者を受け入れ、釋奠祭禮を挙行している。このような参加人の本件施設における活動の内容や位置付け等を考慮すると、本件免除は、参加人に上記利益を享受させることにより、参加人が本件施設を利用した宗教的活動を行うことを容易にするものであるということができ、その効果が間接的、付随的なものにとどまるとはいえない。 (4) これまで説示したところによれば、本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値を考慮しても、本件免除は、一般人の目から見て、市が参加人の上記活動に係る特定の宗教に対して特別の便益を提供し、これを援助していると評価されてもやむを得ないものといえる。 (5) 以上のような事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すると、本件免除は、市と宗教との関わり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして、憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当すると解するのが相当 である。

なお、原審は、市長が参加人に対して、平成26年4月1日から同年7月24日までの間の使用料を請求しないことが違法であることを確認することを求める限度で認容すべきものと判示しましたが、最高裁は、上記期間に限定せず、事実審の口頭弁論終結時において存在していた使用料全額の免除について違法であると判示しました。

 

  1. 政教分離原則に係る違憲審査基準

(1) 違憲審査基準とは何か

憲法13条後段は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しています。すなわち、憲法は、基本的人権を最大に尊重することを必要としつつ、それが「公共の福祉」に反する場合には、制限を受けることがあり得ることを認めていることとなります。

しかし、公共の福祉という観念は高度に抽象的ですから、その具体的内容を明らかにすることなく、単にこの観念を振り回すだけでは粗雑な議論になってしまいかねません。

したがって、公共の福祉の内容はできるだけ具体的に明らかにする必要があります。これは、人権に対する制限の合憲性を判断する基準(違憲審査基準)を明らかにすることです。人権に対するある制限が違憲であれば裁判所によりその制限の効力は否定されることとなる(違憲審査権。81条)ところ、もし違憲審査基準が明確でなければ、裁判官により合憲性の判断が大きく異なることとなるおそれが生じます。このため、違憲審査基準はできる限り明確なものである必要があることとなります。

(2) 政教分離原則に係る違憲審査基準―目的・効果基準

(ア) 目的・効果基準の内容

国や地方公共団体の行為が政教分離に反するか否かの判断においても、違憲審査基準を明らかにする必要があります。この点については、上記2.(2)(ア)の津地鎮祭事件において述べたように、最高裁は、目的・効果基準という違憲審査基準を採用しました。これは、憲法が禁止する宗教的活動とは、「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうもの」であるとする基準です。

(イ) 目的・効果基準の揺らぎ?

しかしながら、この目的・効果基準については、批判もあります。すなわち、津地鎮祭事件で違憲審査基準として目的・効果基準が示されて以降は、同基準が用いられてきましたが、それにもかかわらず、事件ごとに、また同一事件であっても下級審と上級審との間で、複雑に結論が分かれることが多いのです。これは、この基準自体が、判断する者の価値観・思想によって結論を異にし得る曖昧性を持っていることに起因するものであるという批判です。実は、最高裁は、上記2.(2)(カ)の空知太神社事件(及び同所に掲げた富平神社事件)や、今回取り上げた本件(那覇市孔子廟敷地使用料不請求違法確認事件)においては、目的・効果基準を用いていません。

そして、最高裁は、空知太神社事件において、目的・効果基準に代えて、「当該宗教的施設の性格、当該土地が無償で当該施設の敷地としての用に供されるに至った経緯、当該無償提供の態様、これらに対する一般人の評価等、諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すべき」であると述べています。本件においても、ほぼ同様の判断基準が用いられています。

すなわち、現在の最高裁は、政教分離原則への適合性については、個々の事案ごとの種々の要因を総合的に勘案して、社会通念(すなわち、一般常識)に照らして判断するという姿勢を採っているのです。これは、上記のように、裁判官によって判断がぶれることのないように、明確な合憲性判断基準としての違憲審査基準を定立することを断念したかのようにも見えなくもありません。

しかし、空知太神社事件以降も、最高裁は、観光振興的な側面の強い神社の大祭奉賛会へ市長が出席し祝辞を述べたという白山ひめ神社訴訟の判決(最判平成22年7月22日判時2087号26頁)においては、目的・効果基準を用いて合憲判決をしているので、最高裁として、目的・効果基準を放棄したというわけではないようです。

最高裁が空知太神社事件や本件等において目的・効果基準を用いなかったことについては、種々の説明や推測がなされています。まず、藤田宙靖裁判官は、空知太神社事件判決の補足意見において、目的・効果基準は世俗的側面と宗教的側面とが共存する事件に適用されるのであるところ、空知太神社事件における土地の利用提供行為自体には何らの世俗的目的も認めることはできず、特定の宗教を援助・助長する効果も明らかである以上、目的・効果基準の適用の可否が問われる以前の問題であると言えるという説明をしています。

有力な憲法学者である長谷部恭男教授は、この藤田補足意見について、空知太神社事件は目的・効果基準を適用しても当然違憲との結論が導かれる事案であり、なぜ同基準が用いられなかったかが問題となると述べた上、空知太神社事件と同日に下され同じ判断の枠組みが用いられた富平神社事件判決について、市有地上に神社施設が存在する状態を解消を解消するため、無償で使用させていた市有地を町内会に譲与したことを合憲としたことについて、目的・効果基準に照らせば違憲とされても不思議ではないとし、「政教分離原則違反の状態を解消するための行為に目的効果基準を機械的に適用すれば、地域住民の信教の自由に著しい不利益を与える行為(神社施設の撤去)以外、解決の道が塞がれてしまうとの懸念がある」と述べた上、「全国に相当数残存するであろうこの種の状態を信教の自由を侵害しない形で解消するには、目的効果基準のさらに根底にある『信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超える』か否かという観点を招き入れ、各地域の事情に応じた柔軟な解決策を探らざるを得ない。」と述べています(別冊ジュリスト 217号『憲法判例百選Ⅰ〔第7版〕』(有斐閣、2019年)106頁)。

以上のように、政教分離原則に係る違憲審査基準については、最高裁においても、すべての場合に共通の基準を用いているわけではないこともあり、やや錯綜した状況にあると言えるでしょう。思うに、日本という国においては、複数の有力な宗教が長い歴史の中で併存し、国民生活に深く浸透している状況にあり、それゆえに、津地鎮祭事件最高裁判決が言うように、「国家が、社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するにあたって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れえない」ことは否定できません。したがって、政教分離とは言っても、問題となる行為の合憲性を一刀両断に単純な判断をすることは困難であり、個々の事案ごとの種々の要因を総合的に勘案して、社会通念(すなわち、一般常識)に照らして判断するという態度を採らざるを得ないように思われます。

 

  1. まとめ

以上述べたように、最高裁は、本件において、都市公園内における久米至聖廟の設置について使用料を免除した市長の行為は、政教分離原則に反するものとして、違憲であるという判決をしました。
本件判決を受けて、那覇市は、久米至聖会に使用料を請求する方針を決めた旨報道されています(令和3年3月10日付け日本経済新聞・朝日新聞)。政教分離原則への違反の有無に係る事件は、4.(2)(イ)に述べたように、違憲審査基準がやや不明確になっていることもあり、判断が容易ではありません。

しかしながら、これまでの判例によれば、以下のような行為は、政教分離原則に反して違憲であると判断される可能性が高いと考えられます。

(1) 宗教的な式典や宗教施設に、公費を支出すること(岩手靖国訴訟、愛媛玉串料訴訟、中曽根康弘内閣総理大臣靖国神社参拝訴訟)。

(2) 行政機関等の責任ある立場の者が、宗教施設に公式に参拝すること。また、そのような参拝を議会等が要請すること(中曽根康弘内閣総理大臣靖国神社参拝訴訟、岩手靖国訴訟)。

(3) 国公有地その他の国公有の施設を無償で(又は通常の使用料を著しく下回る使用料で)宗教施設に貸与すること(空知太神社事件、那覇市孔子廟敷地使用料不請求違法確認訴訟)。

もう一つ留意していただきたいことは、政教分離原則で問題となる「宗教」とは、厳密に確立した宗教的教義を持つものに限らず、その実際の活動において宗教的な要素を持つものが含まれ得るということです。

このことは、本件の最高裁判決において明らかになりました。本件で問題となった久米至聖廟は儒教の施設であるところ、儒教は、「孔子を祖とする教学。儒学の教え。」(広辞苑)、「古代中国に起こった、孔子の思想に基づく教え。」(岩波国語辞典)などと説明されているように、宗教というよりも道徳的な学問体系であり、その祖である孔子は聖人ではあっても、神仏のような絶対者とは異なるという理解が一般であると思います。しかし、本件においては、本件施設が家族繫栄、学業成就、試験合格等を祈願する多くの人々による参拝を受けていること、本件施設において学業成就(祈願)カードが販売されていたことなど、その活動・運営の実態において、宗教的意義を持つことに着眼して、政教分離原則への適合性を判断すべき対象であるものとされました。

政教分離原則は、憲法上の原則ですから、尊重しなければならないことは当然です。他方、特に地方公共団体の首長や職員の方におかれては、職務上、宗教施設や宗教的な式典に何らかの関わりを持たざるを得ないことがあることも、十分理解できるところです。そのような際には、過去の判例を参照して、政教分離原則への違反を指摘されることのないよう、御注意いただく必要があると思います。

 

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